浅草寺本堂(イメージ) ※写真提供:浅草寺
東京に来たらぜひ立ち寄りたい、おすすめ観光スポットをご紹介します。江戸開府以来、世界有数の都市へと発展した東京には、戦国武将たちにも庇護された史跡や神社仏閣が点在しています。また明治期以降に建てられた建造物も多く、名建築巡りも楽しめます。歴史の足跡をたどりながら東京観光を楽しんでみませんか。
學習神社的歷史景點
No.01 亀戸天神
亀戸天神(イメージ)
JR亀戸駅から徒歩約15分の場所にある亀戸天神。正保3年(1646)、菅原道真公の末裔が飛び梅の枝で天神像を彫り、祀ったことが始まりです。寛文2年(1662)には、太宰府天満宮にならって社殿や心字池、太鼓橋などを造営し、東国天満宮の宗社として崇敬されています。江戸時代に植えられた藤も有名で、葛飾北斎や歌川広重などの浮世絵にも取り上げられました。特に広重の作品はフランスの画家、クロード・モネにも影響を与えたといわれています。藤以外にも梅や菊など季節の彩りを楽しめ、花の天神様と呼ばれて親しまれる神社です。
基本情報
■所在地
〒136-0071 東京都江東区亀戸3丁目6番地1号
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/JtaymChmK5aaEtxf8
■アクセス
JR総武線 亀戸駅北口より徒歩15分
JR総武線/地下鉄半蔵門線錦糸町駅北口より徒歩15分
■電話番号
03-3681-0010
No.02 神田明神
神田明神(イメージ)
神田明神は、奈良時代の天平2年(730)に創建した神社です。戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱など関東の武将たちから崇敬されていました。徳川家康は、関ヶ原の戦いに臨む前に参拝し、神田祭が行われる9月15日に勝利して天下統一を果たしたといいます。以後、神田祭は縁起が良いとされ、途絶えることなく執り行われました。現在は5月開催になりましたが、日本三大祭のひとつに数えられます。現在の地に社殿が建ったのは江戸城を拡張したとき。しかし関東大震災で焼失し、昭和9年(1934)に鉄骨鉄筋コンクリート造に再建されました。この社殿は第二次世界大戦の戦禍にも耐え抜き、現在は国の有形文化財に登録されています。
基本情報
■所在地
〒101-0021 東京都千代田区外神田2-16-2
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/eRKKHrfEE2udZSqg9
■アクセス
JR中央線・総武線御茶ノ水駅(聖橋口)より徒歩5分
東京メトロ丸ノ内線御茶ノ水駅(1番口)より徒歩5分
■電話番号
03-3254-0753
No.03 品川神社
品川神社(イメージ)
品川神社は文治3年(1187)、源頼朝公が海上交通と祈願成就の守護神として創建したといわれています。徳川家康が関ヶ原の戦い出陣の際に参拝し、祈願成就のお礼に仮面や神輿を奉納しました。また三代将軍徳川家光は、鷹狩や茶会、幕府の重要な行事で品川によく訪れたそうですが、寛永14年(1637)には東海寺という新寺を建立しました。その鎮守となったのが品川神社で、建造物の再建修復は幕府が行う「御修覆所」として徳川家の庇護を受けたといいます。現在も境内の随所で徳川家の三つ葉葵の紋が見られます。また江戸時代は、富士山の模擬登山の場として都内各所で人工富士「富士塚」が築造されました。その一つが品川神社の「品川富士」で富士登山と同じご利益があるといわれています。
基本情報
■所在地
〒140-0001 東京都品川区北品川3丁目7-15
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/m7P3TavgNwtpDUBa6
■アクセス
京浜急行新馬場駅北口より徒歩1分
JR品川駅より徒歩15分
■電話番号
03-3474-5575
No.04 富岡八幡宮
富岡八幡宮(イメージ)
富岡八幡宮は寛永4年(1627年)に創建され、深川の八幡様として親しまれてきました。貞享元年(1684)には、江戸幕府から春と秋の勧進相撲が許可され、境内で本場所が行われるようになりました。約100年間、本場所が行われ、江戸後期には両国の回向院へ移りましたが、現在の大相撲の礎となったことから「大相撲発祥の地」とされています。境内には横綱力士碑や大関力士碑をはじめ、巨人力士碑、巨人力士手形足形碑があり相撲ファンに親しまれています。また、深川は日本地図の始祖・伊能忠敬ゆかりの地。寛政2年(1790年)には富岡八幡宮へ参拝して蝦夷地へ測量の旅に出かけたと伝えられています。以降も忠敬が測量旅行に行く際、内弟子と従者とともに参拝し、安全を祈念したといいます。鳥居を入ってすぐのところに銅像と日本地図の石碑が建てられているのでぜひご覧ください。
基本情報
■所在地
〒135-0047 東京都江東区富岡 1-20-3
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/kG8fJXS5GPf8QDmX7
■アクセス
東京メトロ東西線「門前仲町駅」より徒歩3分
都営大江戸線「門前仲町駅」より徒歩6分
■電話番号
03-3642-1315
No.05 花園神社
花園神社 ※写真提供:花園神社
花園神社は、尾張藩下屋敷の庭の一部を拝領し、元々は花が咲き誇る場所だったことが名前の由来だといわれています。江戸時代には、度重なる火災に遭いました。安永9年(1780)と文化8年(1811)は社殿を焼失してしまったため、再建費用集めのために境内に見世物小屋を設けて、見世物や浄瑠璃などを興行したところ大好評に。歌舞伎が流行した江戸時代を経て、芸能との縁は現代にも続きます。昭和40年(1967)の夏に劇作家・演出家の唐十郎が花園神社の一角でテント芝居を初めて行い、日本の演劇界に革新をもたらしました。境内にある芸能浅間神社は多数の芸能人が参拝し、社の横に人気歌手の歌碑も設置されています。また、花園神社は「関東三大酉の市」のひとつに数えられ、師走を迎える新宿の風物詩になっています。
基本情報
■所在地
〒160-0022 東京都新宿区新宿5-17-3
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/WiN8wgGjctbXBrCK8
■アクセス
東京メトロ丸の内線・副都心線・都営新宿線「新宿三丁目駅」E2出口より徒歩すぐ
JR・小田急線・京王線「新宿駅」東口より徒歩7分
■電話番号
03-3209-5265
No.06 待乳山 本龍院(待乳山聖天)
待乳山聖天 本堂(イメージ) ※写真提供:待乳山本龍院
待乳山聖天は、推古天皇の時代に突然出現した霊山とされ、大聖歓喜天を祀る寺院です。本所・深川が埋立てられるまでは、この待乳山を船が入港する際の目印にされていたといいます。待乳山の上からは東に筑波山、西に富士山を一望する景勝地として、文人墨客に愛されてきました。風光明媚な景色は名所図会や錦絵の題材となり、歌川広重の絵に描かれた築地塀は今も境内に残ります。小林一茶や正岡子規の句にも詠まれました。現代では、時代小説で知られる作家・池波正太郎の作品にも度々登場しました。境内入口の石段下には生誕地の碑があるので、お立ち寄りの際にはぜひ見つけてみてください。
基本情報
■所在地
〒111-0032 東京都台東区浅草7-4-1
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/KZBctkHWjfJq5X356
■アクセス
東京メトロ銀座線「浅草駅」より徒歩10分
都営浅草線「浅草駅」より徒歩10分
■電話番号
03-3874-2030
No.07 明治神宮
明治神宮 大鳥居(イメージ) ※写真提供:明治神宮
明治神宮は、明治天皇と皇后の昭憲皇太后を祀っています。明治神宮創建にあたって、御祭神とゆかりの深い代々木の地が選ばれ、祈りの場にふさわしい「永遠の杜」をつくる計画が進められました。およそ70万㎡の広大な敷地に、全国から献木されたおよそ10万本を植樹しました。社殿は昭和20年(1945)に戦火で一度焼失しましたが、昭和33年(1958)に復興し、現在は重要文化財に指定されています。明治神宮御苑には、名将加藤清正が掘ったといわれる清正井(きよまさのいど)があります。毎分約60Lもの水量を誇る、都内では数少ない貴重な湧水です。
基本情報
■所在地
〒151-8557 東京都渋谷区代々木神園町1-1
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/6c3qnXX7eckcHDDX8
■アクセス
JR山手線「原宿明治神宮前」より徒歩1分
小田急線「参宮橋」より徒歩3分
■電話番号
03-3379-5511
學習寺廟的歷史景點
No.01 築地本願寺
築地本願寺(イメージ)
築地本願寺は、元和3年(1617)、現在の中央区東日本橋三丁目に建立された「浅草御堂」が始まり。寛永2年(1625)年に、江戸幕府公認の「西本願寺別院」となりました。明暦3年(1657)、江戸最大の火災、明暦の大火により「西本願寺別院」も焼失してしまいました。再建のために、江戸幕府から与えられた場所は海上だったため、埋め立てて寺地を築いたことから築地御坊と呼ばれるようになりました。延宝7年(1679)に再建されたものの、大正12年(1923)の関東大震災で再び消失してしまいます。昭和9年(1934)に再建したときは、東京帝国大学名誉教授で建築史家の伊東忠太氏の設計によりインドの仏教建築を模した外観を特徴としました。本堂入り口のステンドグラス、数多くの動物の彫刻などが特徴的で、エキゾチックでオリエンタルな雰囲気は仏教伝来の軌跡を感じさせます。
基本情報
■所在地
〒104-8435 東京都中央区築地3-15-1
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/wZT9txbm98GmXbfk9
■アクセス
東京メトロ日比谷線「築地」駅出口1直結
都営地下鉄浅草線「東銀座」駅出口5より徒歩約5分
■電話番号
0120-792-048(コンタクトセンター)
No.02 浅草寺
浅草寺雷門(イメージ) ※写真提供:浅草寺
浅草寺は、飛鳥時代に創建した都内最古といわれる寺院です。ご本尊は絶対秘仏とされていますが、前立本尊は年に一度「御煤払い」の行事に合わせて特別に公開されます。前立本尊は天安元年(857)に慈覚大師円仁が巡拝した際、聖観音菩薩像を彫り上げて御前立としたと伝わっており、平安時代後期以降は将軍たちから信仰を集めるようになりました。源頼朝は治承4年(1180)平家追討の出征と、文治5年(1189)、奥州平泉の藤原氏征討の際に勝利を祈願しました。霊験あらたかな寺として足利尊氏、北条氏綱らの名立たる武将の庇護を受けてきました。江戸時代には幕府の祈願所と定められ、浅草寺と浅草の町は江戸文化の中心として発展しました。
基本情報
■所在地
〒111-0032 東京都台東区浅草2-3-1
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/rWfxJ35Zix2uv9Wq7
■アクセス
東武スカイツリーライン浅草駅より徒歩5分
東京メトロ銀座線浅草駅より徒歩5分
■電話番号
03-3842-0181
No.03 泰叡山護國院 瀧泉寺(目黒不動尊)
泰叡山護國院 瀧泉寺(イメージ)
目黒不動尊の名で知られる泰叡山護國院瀧泉寺。平安時代の大同3年(808年)に開創した、関東最古の不動霊場とされる寺院で、本尊である不動明王像は慈覚大師の作といわれます。江戸時代の目黒は将軍の狩場となっていました。三代将軍の徳川家光は目黒での鷹狩りの際、行方不明となった愛鷹が、不動尊の前の松に戻ってきたことに感激して目黒不動を信仰し、五十三棟にも及ぶ壮麗な伽藍が建立されました。これらの建造物群は「目黒御殿」と称され、江戸名所図会にも描かれるほどの華やかさを誇りました。また、境内の前不動堂の右手にある独鈷(とっこ)の滝は、水垢離の道場として利用されていました。幕末に活躍した西郷隆盛は、薩摩藩主・島津斉彬が病に伏した際にここで滝行し、回復を祈願したといいます。
基本情報
■所在地
〒153-0064 東京都目黒区下目黒3丁目20番地26号
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/4sXnJaruVELz3CJy6
■アクセス
JR山手線目黒駅より徒歩20分
No.04 泉岳寺
泉岳寺(イメージ)
慶長17年(1612)、徳川家康が幼年期に身を寄せた今川義元の菩提を弔うため創建した泉岳寺。寛永18年(1641)の「寛永の大火」によって伽藍が焼失したため、3代将軍徳川家光の命により現在の地に移転しました。この再建に携わった大名家のひとつが赤穂藩淺野家です。その縁により同家の菩提寺となり淺野内匠頭が葬られています。「赤穂事件」の翌年、主君の命日に討ち入りを果たした赤穂義士たちの墓所もあります。また境内には、浅野内匠頭が切腹した際の血がかかったとされる「血染の梅、血染の石」や吉良上野介の首を洗ったと伝わる「首洗い井戸」などの遺物が残されています。義士に関する資料が展示された赤穂義士記念館も必見です。
基本情報
■所在地
〒108-0074 東京都港区高輪2-11-1
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/3J2m7zzYmfaoMZPDA
■アクセス
都営浅草線泉岳寺駅(A2出口) より徒歩3分
JR山手線高輪ゲートウェイ駅より徒歩7分
■電話番号
03-3441-5560
No.05 増上寺
増上寺(イメージ)
増上寺は天正18年(1590)、徳川家康が関東移封してまもなく、徳川家の菩提寺として選ばれました。2代将軍秀忠をはじめ6人の将軍と各公の正室、側室の墓所が設けられています。現在の港区芝に移ったのは慶長3年(1598)。ご本尊は、家康が深く信仰し、戦の際に守護仏として持ち歩いた阿弥陀如来です。線香の煙で黒ずんでいるため、家康が黒本尊と名付けたと伝えられています。現在は境内の安国殿に安置され、勝運・厄除けの仏様として人々の尊崇をあつめています。明治時代は2度にわたる大火に遭い、再建したものの、昭和20年(1945)の空襲により建造物のほとんどが焼失しました。境内入口にある三解脱門は元和8年(1622)に造営された当時の面影を残しています。
基本情報
■所在地
〒105-0011 東京都港区芝公園4-7-35
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/yvdX9kpYxPj5LeZh7
■アクセス
JR線・東京モノレール浜松町駅より徒歩10分
都営地下鉄御成門駅より徒歩3分
■電話番号
03-3432-1431
No.06 寛永寺
寛永寺 根本中堂(イメージ) ※写真提供:寛永寺
寛永寺は、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願することを目的に創建されました。比叡山延暦寺が京都御所の鬼門に建立されたことに模して、江戸城の鬼門である上野に建てられ、「東の比叡山」という意味で東叡山と名付けられました。 幕末から明治に移り変わる慶応4年(1868)、新政府に徹底抗戦した彰義隊が寛永寺に立てこもり、上野戦争が勃発。本堂である「根本中堂」は、全焼しただけでなく境内地が明治政府に没収されるなど、大打撃を受けました。明治12年(1879)に復興が認められ、現在の地に移築再建されました。
基本情報
■所在地
〒110-0002 東京都台東区上野桜木1丁目14番11号
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/x7Hyfgj3ty4WuQRQ9
■アクセス
JR鶯谷駅南口より徒歩7分
■電話番号
03-3821-4440
No.07 回向院
回向院 山門(イメージ) ※写真提供:回向院
両国の回向院は、明暦の大火による犠牲者を葬るため、将軍・徳川家綱の指示により創建された浄土宗の寺院です。江戸市中すべての無縁仏を埋葬するようになり、参拝者が増えたことで両国橋周辺は賑わいを見せ、様々な店舗や演芸などが集まる場所へと発展しました。明和5年(1768) 、回向院境内で勧進相撲が初めて行われ、その後、文政年間にいたるまで、勧進相撲興行の中心となりました。天保4年(1833)には春秋興行の定場所となり、明治42年に旧両国国技館ができるまで、「回向院相撲」として日本の相撲史に名を刻みました。歴代相撲年寄を供養する為に建てられた巨大な碑『力塚』が、相撲とのつながりを示す象徴になっています。
基本情報
■所在地
〒130-0026 東京都墨田区両国2-8-10
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/mfudCSydigAJYdww5
■アクセス
JR総武線両国駅西口より徒歩3分
地下鉄大江戸線両国駅より徒歩10分
■電話番号
03-3634-7776
學習建築物的歷史景點
No.01 迎賓館赤坂離宮
迎賓館赤坂離宮本館(外観)(イメージ)
迎賓館赤坂離宮は、明治42年(1909)に当時の皇太子の東宮御所として建設されました。日本唯一のネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築で、室内は芸術家たちの工芸品や天井などの意匠を凝らし、明治時代を象徴する芸術作品のようです。戦後は国の管理下に置かれ、国立国会図書館として使用されましたが大改修工事を行い、昭和49年(1974)に外国の賓客を迎える迎賓館として生まれ変わりました。本館では、豪華絢爛な内装を見学できます。現在も首脳会談やおもてなしの場として使用されている4つの公用室のほか、正面玄関ホール、花鳥の間、彩鸞の間、朝日の間、羽衣の間などが見学できます。
基本情報
■所在地
〒107-0051 東京都港区元赤坂2-1-1
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/tm5bMKYxUCvGGb5v6
■アクセス
JR四ツ谷駅赤坂口より徒歩約7分
東京メトロ四ツ谷駅1番出口より徒歩約7分
■電話番号
03-3478-1111
No.02 自由学園明日館
自由学園明日館(イメージ)
自由学園明日館は、大正10年(1921)に創立された自由学園の最初の校舎です。自由学園の創立者は、気鋭の女性ジャーナリスト羽仁もと子と吉一夫妻で、学びの中心に「生活」を据える教育を目指しました。校舎の設計を手掛けたのは近代建築の巨匠であるフランク・ロイド・ライトです。弟子の遠藤新の推薦により「帝国ホテル」の設計で来日中だったライトに打診。夫妻が目指した教育理念に賛同し、快諾されたといいます。建物は、中央棟を中心とし、左右に東・西棟をシンメトリーに配し、高さを抑えて地面との平行を強調したプレイリースタイルと呼ばれる佇まいが特徴です。幾何学模様を多用したデザインなど、ライトの建築哲学が随所に見られます。
基本情報
■所在地
〒171-0021 東京都豊島区西池袋2-31-3
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/SCakseHCqxH4gMxn6
■アクセス
池袋駅メトロポリタン口より徒歩5分
JR目白駅より徒歩7分
■電話番号
03-3971-7535
No.03 都立旧岩崎邸庭園
都立旧岩崎邸庭園 洋館(イメージ) ※写真提供:(公財)東京都公園協会
旧岩崎邸庭園は、明治29年(1896)に三菱財閥三代目当主岩崎久彌の本邸として建てられました。日本の建築に大きな影響を与えた、イギリス人建築家ジョサイア・コンドルが設計を手掛けました。また、日本と西洋の建築様式を組み合わせた和洋併置式住宅の典型ともいわれています。建設当時は建物20棟が並んでいましたが、現在は洋館、和館、撞球室(ビリヤード場)が残されています。広大な庭も和洋併置式で、芝生の庭をもつ近代庭園の初期の形を残しています。芝庭は園路が張り巡らされた開放的な「巡れる庭」であるのに対し、和館の坪庭は渡り廊下の窓から見ることを意識して造られた「見る庭」。手水鉢や庭石、モッコクの庭木など、和の趣が感じられます。
基本情報
■所在地
〒110-0008 東京都台東区池之端1-3-45
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/H697ACPvmorSkMJP7
■アクセス
東京メトロ千代田線 湯島駅(C13)1番出口より徒歩3分
東京メトロ銀座線「上野広小路」(G15)より徒歩10分
都営地下鉄大江戸線「上野御徒町」(E09)より徒歩10分
■電話番号
03-3823-8340
No.04 日本ハリストス正教会教団東京復活大聖堂(ニコライ堂)
ニコライ堂(イメージ)
ニコライ堂は、日本の正教会において総本山としての役割を担います。この聖堂を建てたニコライ大主教の名前にちなんでニコライ堂と呼ばれていますが、正式名称は「日本ハリストス正教会教団東京復活大聖堂」です。明治24年(1891)に竣工した当時、高さ約35mある高層の西洋建築はかなり斬新だったようです。建築はビザンチン様式で中央にドームを設けています。大正12年(1923)の関東大震災でかなり大きな被害を受けましたが、基礎と煉瓦造の本体は生き残ったためそれらを活かしながら耐震補強が行われ、昭和4年(1929)にほぼ全面的に修復されました。煉瓦造の重要文化財としては最古級で、煉瓦造文化財の修復の先駆けとなりました。
基本情報
■所在地
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台4-1
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/M51Pow2TRfow7r4r9
■アクセス
JR御茶ノ水駅「聖橋口」より徒歩2分
東京メトロ新御茶ノ水駅「B1出口」より徒歩2分
■電話番号
03-3295-6879
No.05 湯島聖堂
湯島聖堂 大成殿(イメージ) ※写真提供:湯島聖堂
湯島聖堂は、近代教育発祥の地。五代将軍・徳川綱吉が上野忍岡にあった林羅山の邸内の孔子廟をこの地に移したのが始まりです。その後、西隣に幕府直轄の昌平坂学問所が開設され、多くの人材を輩出しました。 現在の建物は、関東大震災でほぼ焼失した後、設計を工学博士の東京帝国大学伊東忠太教授が手掛け、鉄筋コンクリート造りで再建されたもので、歴史的な意匠を受け継ぎつつ、近代的な建築技術が用いられているのが見どころです。明治維新後、湯島聖堂のあった場所は新政府の所管となり、大学校や大学が置かれましたが、その後廃止され文部省が置かれました。
基本情報
■所在地
〒113-0034 東京都文京区湯島1-4-25
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/55i7aTLGtoChfgGq9
■アクセス
JR御茶ノ水駅より徒歩2分
東京メトロ丸の内線御茶ノ水駅より徒歩1分
■電話番号
03-3251-4606
推薦區域
No.01 奥浅草(吉原)
吉原大門跡(イメージ)
雷門と浅草寺の北側に広がるエリアは、地元では奥浅草と呼ばれています。江戸時代は歓楽街として大盛況を極め、芝居小屋や料亭などで栄えた歌舞伎街がありました。奥浅草から吉原遊郭跡への散策は、かつて賑わった歓楽街の面影を感じ取ることができます。吉原遊郭の警備の要であった吉原大門跡やお歯黒どぶの名残を感じられる石垣などが残されています。吉原前には山谷堀があり、当時は「猪牙舟」で吉原へ遊びに行くことが粋とされていました。現在、山谷堀は山谷堀公園と生まれ変わり、猪牙舟のレプリカを見ることができます。
基本情報
■所在地
〒111-0031 東京都台東区千束4丁目24−12
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/ikHTSJnCWaysUUZ77
No.02 神楽坂
神楽坂路地裏(イメージ)
神楽坂は室町時代に上野国赤城山南麓(現在の群馬県)で勢力を持った武士一族、大胡氏が牛込城を築いたのが始まりだといわれています。江戸時代には武家地や寺町となり、毘沙門天善國寺が神楽坂の寺町に移転して参拝客でにぎわうようになりました。江戸後期に入ると花柳界が誕生。東京六花街の一つとして、多くの芸者たちが行き交う華やかな街へと発展を遂げました。現在、江戸時代の花街としての面影を伝える石畳の路地や、歴史を感じさせる黒塀の家々が残る横丁や路地裏が点在しています。特に、兵庫横丁やかくれんぼ横丁、芸者小道などの風情ある横丁や路地裏は、当時の花街の雰囲気を感じることができます。
基本情報
■所在地
〒162-0825 東京都新宿区神楽坂
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/8nrHzeEvUUNw9GtB7
■アクセス
JR飯田橋駅 西口
東京メトロ飯田橋駅 B3出口
No.03 銀座(歌舞伎座周辺)
歌舞伎座(イメージ)
銀座の地名は、江戸時代にあった銀座役所が由来で通称「銀座」と呼ばれていました。銀座界隈は芸能との関係が深かった地域で、木挽町には金春、金剛、観世の能役者たちの拝領屋敷がありました。歌舞伎を興行した森田座や人形浄瑠璃の土佐座もあり、芝居の町として栄えたそうです。時代が下がって明治5年(1872)に銀座大火で銀座一帯が焼失したことをきっかけに、耐火構造の煉瓦の建物が並ぶ西洋風の街並みに変わりました。新橋から横浜を結ぶ、日本初の鉄道が開通すると、洋食店や洋服店など、新進気鋭の店が次々とオープン。明治時代末期には、百貨店の前身である勸工場が登場し、ショッピングやそぞろ歩きを楽しむ街として「銀ぶら」という文化が広まっていったといわれています。
基本情報
■所在地
〒104-0061 東京都中央区
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/xM5iGT3JCSEKZzai7
■アクセス
東京メトロ日比谷線・都営浅草線 東銀座駅[3番出口]
東京メトロ銀座線・丸ノ内線・日比谷線 銀座駅[A7番出口]徒歩5分
No.04 日本橋
日本橋(イメージ)
日本橋は、東海道や中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道のすべてにつながる起点です。これらの五街道は、江戸幕府の樹立後、全国につながる重要街道として整備されました。運河も整備・開削されたことで、周囲には河岸や町人町などができ、物流の拠点として発展。両替屋や商店が軒を連ねる商業・金融の中心地として、パリやロンドンを凌ぐ規模の都市となりました。現在、橋の柱にある「日本橋」の文字は徳川慶喜の筆によるものです。橋の中央には「日本国道路元標」が埋め込まれ、そのレプリカが元標の広場に設置されているので、ぜひ見つけてみてください。
基本情報
■所在地
〒103-0027 東京都中央区
■周辺地図
https://maps.app.goo.gl/zbZxnfaEZnDD6jdAA
■アクセス
東京メトロ日本橋駅より徒歩すぐ
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