古代日本の歴史・人の謎に迫る旅

公開日 / 2026.03.18更新日 / 2026.03.18

日本最大級の石室、石舞台古墳。天井石の上面が平らなことにちなんで、石舞台と言われる

解明されていない謎も多く、新たな発見が歴史好きの心をくすぐる古代史。 日本文化のルーツである縄文を知る「三内丸山遺跡」、 邪馬台国に思いを巡らせる「吉野ヶ里遺跡」、聖徳太子の一生に迫る「飛鳥・斑鳩」を歩きます。 「教科書にも載っていた!」という有名人や場所に触れる古代ロマンの旅に出ましょう。

謎に包まれた聖人・聖徳太子の一生を追う/【飛鳥時代】飛鳥・斑鳩

聖徳太子生誕の地・橘寺

仏教が広まり、天皇を中心とした国づくりが進められた飛鳥時代。この時代を代表する人物と言えば、数々の逸話をもつ聖徳太子でしょう。

太子とゆかりが深い奈良県明日香村には、飛鳥時代の古墳が点在します。中でも巨石三十数個が積み上がる石舞台古墳は、圧倒的な迫力で見るものを古代の世界へと誘います。ツアーでは、太子生誕の地と伝わる橘寺(たちばなでら)や、太子が創建したとされ、現存する世界最古の木造建築として知られる世界文化遺産の法隆寺(奈良県斑鳩町)、太子の愛犬だったとされる雪丸の石像がある達磨寺(だるまじ・奈良県王寺町)、太子の墓所がある叡福寺(えいふくじ・大阪府太子町)など9カ所を巡ります。

聖徳太子の愛犬として伝承される「雪丸」の石像(達磨寺境内)

一人の聖人にまつわる逸話と謎に迫りながら、ゆかりの地を訪れる旅は奥深く、さらに知りたいという知的好奇心が刺激されるでしょう。「飛鳥・藤原の宮都」の遺跡群は、2026年の世界遺産登録を目指しており、ゆっくり巡るなら今がチャンスです。

日本最大級の石室、石舞台古墳。天井石の上面が平らなことにちなんで、石舞台と言われる

太子の人物像を想像しながら

Nara観光コンシェルジュ 松原 純さん

聖徳太子の生涯をテーマにしたツアーですので、それぞれの見学地で聖徳太子と関連付けてご案内します。その上で生誕の地とされる橘寺、母・妃とともに太子が眠る叡福寺は見逃がせません。法隆寺は訪れたことのある方も多いと思いますが、太子をテーマに巡ると「太子信仰」を感じるスポットが多く、歴史の深さに圧倒されます。ツアーの中で太子の人物像を探っていくのがオススメの楽しみ方です。

邪馬台国はどこ? 女王卑弥呼の謎に迫る/【弥生時代】吉野ケ里遺跡

弥生時代の移り変わりを知ることができる吉野ヶ里遺跡=写真提供:佐賀県観光連盟

定住文化と稲作が定着した弥生時代。そんな弥生時代の集落跡として日本最大級の遺跡が、佐賀県の吉野ヶ里遺跡です。

約700年間続いたこの時代の全ての時期の遺構・遺物が発掘されており、日本の古代史を解き明かす上でも重要な遺跡として注目されてきました。九州北部の装飾古墳は、円や三角形などの模様をあしらった壁画が多いのですが、福岡県の竹原古墳には、動物や人など写実的なモチーフが描かれています。

内部非公開の装飾古墳が多い中、竹原古墳は壁画をガラス越しに見ることが可能で、古代の世界観や息吹をダイレクトに感じることができます。「邪馬台国はどこにあったのか」「女王・卑弥呼はどこにいたのか」。いまだ解き明かされていない古代史の謎に迫り、想像をふくらませながら、遺跡や古墳を巡りませんか。

岩戸山古墳で出土・九州独特の「石人」=写真提供:八女市教育委員会

古代の魅力が詰まった旅路へ

一般社団法人 日本遺産普及協会代表監事・日本旅行作家協会会員 黒田尚嗣さん

このツアーには、古代史の魅力が凝縮されています。特に吉野ヶ里遺跡は『魏志倭人伝』に登場する邪馬台国を連想させてくれるだけではなく、縄文時代の小さなムラから大きなクニへ発展を遂げていくという国家形成の流れを感じることができます。
そして古代の手工業生産、階層分化、戦い、祭祀(さいし)、あるいは地域・国際交流など、歴史ファンには興味深い多くの情報に触れることができます。

大規模集落の豊かな暮らし ロマンあふれる縄文の謎へ/【縄文時代】三内丸山遺跡

縄文時代の「ムラ」を体験できる三内丸山遺跡

縄文時代の人々の暮らしと精神文化を今に伝える遺産の重要性が認められ、世界遺産に登録されている「北海道・北東北の縄文遺跡群」。中でも青森県の三内丸山遺跡は、日本最大級の縄文集落跡として広く知られています。

遺跡のシンボルとも言える復元された大型掘立柱建物は、規格外の規模で当時の建築技術の高さに驚かされますが、その用途は神殿や物見やぐら、モニュメントなど諸説あり、解明されていません。

遮光器土偶のオブジェがあるJ R五能線木造駅の駅舎

豊かな自然の恵みを生かしながら狩猟をし、マメ類などの農作物を栽培し、酒づくりまでしていたとされる三内丸山に暮らした人々。しかし、縄文時代後期には人々は集落を放棄し衰退しました。現在でも発掘調査が続けられている三内丸山遺跡。新たな発掘や謎の解明にも期待したいですね。

悠久の歴史を実感してほしい

考古学者 来村多加史さん

興味深いのは遺跡内で確認された盛土(もりど)です。土器が長年にわたって捨てられ、小山になったものですが、土器に混ざって土偶やヒスイの首飾りなども出土し、単なるゴミ捨て場ではないとわかりました。縄文人は捨てるという行為に感謝を込めていたのではないかと推測されており、生きるためにお世話になったものに感謝する心は、持続可能な社会の実現のための手本になるという意味でも貴重です。