松下村塾は8畳一室、4畳半一室、3畳二室、土間一坪、中二階付きの木造瓦葺き平屋建ての50uほどの小舎です。松陰は安政4年(1857)から2年半の間、身分や階級にとらわれずに門下生を受け入れ教育しました。
また、平成21年(2009)に「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして世界遺産暫定リストに追加掲載されました。
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慶長9年(1604)に毛利輝元が築城しました。明治7年(1874)、天守閣、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめています。
春には600本余りのソメイヨシノが咲き誇る桜の名所となっています。また、園内には花びらが純白色の珍しい桜・ミドリヨシノが1本あり、日本では萩でしか見ることのできない貴重な桜のため山口県の天然記念物に指定されています。夜は天守閣跡の石垣などがライトアップされ、水鏡に映る美しい姿をご覧いただけます。(別料金:210円)
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反射炉は、鉄製大砲の鋳造に必要な金属溶解炉で、萩藩の軍事力強化の一環として導入が試みられました。
現在残っている遺構は煙突にあたる部分で、高さ10.5mの安山岩積み(上方一部レンガ積み)です。反射炉が現存するのは韮山(静岡県)と萩の2ヶ所だけであり、わが国の産業技術史上たいへん貴重な遺跡です。
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萩藩の藩校、明倫館は亨保4年(1719)毛利吉元が城内三の丸に創設し、嘉永2年(1849)毛利敬親が江向に移しました。
桂小五郎、長井雅楽、吉田松陰、高杉晋作、井上馨などを輩出し、日本三大学府の1つと称されました。
なお明倫館聖廟の建物は、現在北古萩町の海潮寺の本堂に移され、また南門は本願寺院の表門、観徳門は明倫小学校に現存しています。
敷地内は外観のみご自由に見学していただけます。(※内部は見学できません)
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元禄4年(1691)毛利吉就が建てた毛利家の菩提寺です。総門、三門、大雄宝殿、鐘楼は国の重要文化財です。
毛利家奇数代の墓が祀られ、約500基の石灯籠が整然と立ち並んでいます。
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左右を高い土塀で囲み道を鍵の手(直角)に曲げた独特な道筋です。
堀内地区は藩政時代の城内三の丸にあたり、藩の諸役所や毛利一門、永代家老、寄組といった大身の武家屋敷が並んでいた場所です。
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碁盤目状に区画され、武家屋敷が軒を連ねていた城下町の町筋は、現在でもそのままに残り、往時の面影をとどめています。
※菊屋家住宅(別料金:520円)
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幕末の風雲児・高杉晋作の生まれ育った家。現在は、建物の一部を公開しています。建物は江戸期より縮小されていますが、敷地内には晋作ゆかりの品や東行と号した句碑・産湯の井戸などがあり、当時の面影をよく残しています。(別料金:100円)
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