クラブツーリズム TOP「旅の友」web版【中部・東海版】日本遺産の地に生きる 〜第10回〜

日本遺産の地に生きる

日本遺産STORY

宇都宮市の大谷地域で産出される「大谷石(おおやいし)」。軽くてやわらかく加工がしやすいため、古くから蔵や塀の石材として利用されてきました。1923年、アメリカ人建築家フランク・ロイド・ライトが帝国ホテル旧本館の建築に用いたことでも名声を高めました。

江戸時代に本格化した大谷石の採掘は、日本屈指の採石産業として発展。地下へ掘り下げていく坑内掘りによって、巨大な石切り場が次々と生み出されました。そこは石柱が延々と立ち並び、岩肌がむき出しの地下空間――。長い年月をかけて、石工たちのエネルギーと壮大な歴史を物語る場所です。

宇都宮市のまちを歩けば、いろいろな姿に形を変えた大谷石に出会えるでしょう。大谷石をほる文化、そして掘り出された石を変幻自在に使いこなす文化は、脈々と受け継がれ、この地を訪れる人びとを魅了しています。

「日本遺産」とは、文化庁が認定した日本の文化・伝統を語るストーリー。2019年6月までに83のストーリーが認定されました。

地域の歴史的魅力や特色を国内外へ発信することや地域活性化を目的としています。

大谷石坑内掘りの歴史を目の当たりにできる貴重な空間

大谷石の地下採掘場跡地を資料館として公開し、最近では神秘的な巨大空間としてSNSなどでも話題を集める大谷資料館。館長の鈴木洋夫さんは、以前宇都宮市のフィルムコミッション(撮影の誘致や支援)業務に携わっていたため、大谷資料館とはもともと関わりがあり、愛着のある場所だったそう。

2014年の館長就任以来、取り組んでいることのひとつが間接照明による幻想的な空間の演出。「前の仕事でプロの照明技術に接する機会があり、自分もやってみようと。年々照らす範囲を広げているんですよ」。施設をもっと良くしていこう、人々がもっと楽しめるものにしていこうと励む姿が印象的でした。

日本遺産に認定され、以前より幅広い年代の方が大谷資料館を訪れているそう。「石の掘り跡や採掘の歴史を目に見える形で残し、後世に継承していきたい。実際に手で触れて、柔らかくて温かみのある大谷石のよさを感じてほしいですね」と優しい笑顔で話してくれました。

大谷資料館・館長の鈴木洋夫さん

大谷資料館・館長の鈴木洋夫さん

人々の暮らし、信仰とともにあった大谷石

大谷寺(坂東三十三観音第19番札所)。本堂に覆いかぶさるような大谷石の奇岩は、長い年月をかけて自然の力がつくり上げたもの。本尊の大谷観音をはじめ、釈迦三尊・薬師三尊・阿弥陀三尊の計10躰が大谷石の壁面に彫刻され、すべて国の特別史跡・重要文化財に指定されています

弘法大師作との言い伝えも残る大谷寺の本尊・千手観音像(大谷観音)

弘法大師作との言い伝えも残る大谷寺の本尊・千手観音像(大谷観音)

大谷石の高い崖の独特な風景は、姿川沿いに連なる大谷の奇岩群(御止山)。国指定名勝

大谷石の高い崖の独特な風景は、姿川沿いに連なる大谷の奇岩群(御止山)。国指定名勝

 大谷石は、約1500万年前の海底火山の噴火によって形成された凝灰岩。大谷地域は、その大量の岩山や、自然が織りなす奇岩群に囲まれている地です。縄文時代には岩山の洞穴を住居として利用し、古墳時代には横穴を掘って墓地とするなど、古代の人びとは、この地で大谷石とともに暮らしてきました。

 奈良・平安時代になると、岩壁に仏像を彫り、人びとの安寧を願う信仰の場をつくり上げました。大谷寺の「大谷観音」は日本最古ともいわれる磨崖仏で、本堂奥の岩壁に直接彫刻されています。造られた当時は、岩壁に像を彫ってから粘土で形を整え、下地に漆を塗り、金箔が施されていたといいます。

大谷石の地下迷宮「大谷資料館」

地下30mに神秘的な巨大空間が広がる大谷資料館(カネイリヤマ採石場跡地)。坑内の気温は平均8℃前後で、一年を通じてほぼ一定しています。壁面には、手掘り時代のツルハシの跡が残り、年月の重さを感じさせます

壁面の縦溝は、機械で切り出された跡。幾何学的な模様は一種のアートのようでもあります

壁面の縦溝は、機械で切り出された跡。幾何学的な模様は一種のアートのようでもあります

色彩豊かな照明効果が施され、幻想的な空間を演出しています。写真の一角では、世界的歌手の映像撮影も行われたそう

色彩豊かな照明効果が施され、幻想的な空間を演出しています。写真の一角では、世界的歌手の映像撮影も行われたそう

資料展示コーナーでは、大谷石の性質や時代による採掘方法の変遷などを学べます(写真は手掘り時代のツルハシ類)

資料展示コーナーでは、大谷石の性質や時代による採掘方法の変遷などを学べます(写真は手掘り時代のツルハシ類)

 江戸時代から本格的な大谷石の採掘が行われるようになり、最盛期には約250カ所の採掘場があったといわれています。地下の採石場は、戦時中には軍需工場として使用されたそう。現在では、大谷石採掘の歴史を今に伝えるため、かつての坑内掘り跡地が大谷資料館として一般に公開されています。

 一歩足を踏み入れると、まるで神殿や古代遺跡を思わせる神秘的な地底の景観に圧倒されます。広さ2万u、深さ30mに及ぶスケールは、1919年から約70年の歳月をかけて造られたものです。
 機械が導入される1959年ごろまで、採掘はすべて手作業で行われていました。「六十石(ろくとう)」と呼ばれる18×30×90pの石を1本掘るのに、約4000回もツルハシをふるったといわれています。1人あたりの採掘量は1日に10本ほどでした。この広さに到達するまで、気の遠くなるほどの労力がかけられているのです。

 1986年に採掘場としての歴史を終えましたが、その独特な雰囲気から、現在ではコンサートや展覧会、映像の撮影などに利用されています。ここは、大谷石の地下採掘を今に伝える唯一無二の空間です。

今も稼働する露天採石場

 大谷町にあるカネホン採石場は、創業200余年を誇る現役の大谷石採石場。露天掘りの現場の見学や、大谷石の窯で焼いた本格ピザの試食ができる「採石場ツアー」を行うなど、訪れる人びとに大谷石の魅力を発信しています。

今も露天掘りで大谷石を掘り出し続けるカネホン採石場

今も露天掘りで大谷石を掘り出し続けるカネホン採石場

大谷石の遠赤外線効果を生かしたピザ窯

大谷石の遠赤外線効果を生かしたピザ窯

 城下町・門前町として発展してきた宇都宮では、江戸時代以降、都市づくりに大谷石が使われてきました。寺社や教会、豪商の屋敷や民家の外壁などのほか、今でも道路の敷石や公衆トイレといった多くの公共の場所に用いられています。

 大谷石には、「ミソ」と呼ばれる黒や茶色の斑点があり、その大きさによっても表情はさまざまで、色味や質感はやわらかく温かみがあります。ミソは音を拡散させるための凹凸を作り、優れた音響効果を発揮します。ほかにも、耐火性や消臭効果などさまざまな特徴を持っています。

 宇都宮の人びとは、この個性豊かな大谷石を使いこなし、独特な「石のまち」をつくり上げてきました。そうした視点でまちを歩けば、ほかの町にない奥深い魅力に出会えることでしょう。

カトリック松が峰教会

1932年にスイス人建築家マックス・ヒンデルによって設計されました。外壁だけでなく、内部の柱や祭壇などに大谷石が多用され、独特の美しさを持った空間が広がっています

1932年にスイス人建築家マックス・ヒンデルによって設計されました。外壁だけでなく、内部の柱や祭壇などに大谷石が多用され、独特の美しさを持った空間が広がっています

「大谷石独特の音響効果で、パイプオルガンの響きがとっても素敵ですよ」と話す観光ボランティアガイドの関口信子さん

「大谷石独特の音響効果で、パイプオルガンの響きがとっても素敵ですよ」と話す観光ボランティアガイドの関口信子さん

国内では数少ない双塔を持つ、ロマネスク様式の教会建築。現在残っている最大の大谷石建造物です

国内では数少ない双塔を持つ、ロマネスク様式の教会建築。現在残っている最大の大谷石建造物です

やわらかく加工しやすい大谷石の特徴を生かした細かい装飾が、外壁や内部のあちこちに施されています

やわらかく加工しやすい大谷石の特徴を生かした細かい装飾が、外壁や内部のあちこちに施されています

二荒山神社

江戸時代に造られた石垣

約1600年前に創建されたと伝わる下野国の一宮であり、宇都宮市民の心の拠り所。江戸時代に造られた石垣(写真)に大谷石が使われています

東武鉄道南宇都宮駅舎

大谷石を用いた駅舎で、開業した1932年当時の原形をとどめています。外壁の石の張り方が、腰壁より下が横方向、上部が縦方向という珍しいもの

大谷石を用いた駅舎で、開業した1932年当時の原形をとどめています。外壁の石の張り方が、腰壁より下が横方向、上部が縦方向という珍しいもの

旧篠原家住宅

篠原家は江戸時代から醤油醸造や肥料販売を営んでいた豪商。耐火性に優れた大谷石張り(外壁一部)の主屋と3棟の蔵が残り、見学も可能です

篠原家は江戸時代から醤油醸造や肥料販売を営んでいた豪商。耐火性に優れた大谷石張り(外壁一部)の主屋と3棟の蔵が残り、見学も可能です

南宇都宮石蔵倉庫群

昭和28年に米の貯蔵庫として建てられ、現在はカフェなどの店舗やコミュニティスペースとして使用されています

昭和28年に米の貯蔵庫として建てられ、現在はカフェなどの店舗やコミュニティスペースとして使用されています

グルメ・おみやげPick up!

ダイニング蔵 おしゃらく

 大谷石造りの和風ダイニングレストラン。1938年に建てられた石蔵を改装したお店で、日本遺産の構成文化財のひとつでもあります。旬の野菜をふんだんに用いたランチメニューは、体に優しくヘルシーで女性に大人気。

ランチプレートの一例(デザート・ドリンク付き)

ランチプレートの一例(デザート・ドリンク付き)

大谷石の外壁が趣を感じさせます

大谷石の外壁が趣を感じさせます

大谷石細工(伝統工芸品)

カエルを象った民芸品「無事カエル」。古くから玄関先に飾られ、帰宅した主人を出迎えていました。日本遺産の構成文化財のひとつでもあります

カエルを象った民芸品「無事カエル」。古くから玄関先に飾られ、帰宅した主人を出迎えていました。日本遺産の構成文化財のひとつでもあります

灯篭や庭の置き物、器やランプシェード、表札などさまざまな大谷石細工が作られています。じっくりとお気に入りを探してみては

灯篭や庭の置き物、器やランプシェード、表札などさまざまな大谷石細工が作られています。じっくりとお気に入りを探してみては

宇都宮餃子®

宇都宮餃子
来らっせ

宇都宮のご当地グルメといえばやっぱり「餃子」。宇都宮餃子会が運営する「来らっせ」(写真右)では、いろいろなお店の餃子の食べ比べができます。お土産コーナーでは、冷凍生餃子の購入も可能

大谷夏いちご

いちごの生産量が少ない夏に、「大谷石採取場跡地」の地下水を活用して栽培。しっかりとした甘みと酸味が特徴で、10月頃まで販売されています

いちごの生産量が少ない夏に、「大谷石採取場跡地」の地下水を活用して栽培。しっかりとした甘みと酸味が特徴で、10月頃まで販売されています

大谷石文化の魅力をもっと知りたい方は、下記ホームページをご覧ください。
https://oya-official.jp/bunka/(宇都宮市大谷石文化推進協議会)

大石谷文化

地下迷宮の秘密を探る旅〜大谷石文化が息づくまち宇都宮〜

 宇都宮といえば、今日では「餃子のまち」として知られていますが、それ以外にも駅弁発祥の地であり、百人一首ゆかりの地でもあります。

 さらに、宇都宮市の中心から北西約8qに位置する「石のまち」大谷も魅力あふれる場所で、この地域は隆起した凝灰岩の奇岩が連なり、むき出しの岩肌と森とが相まって「陸の松島」とも呼ばれています。

 この地で採掘される大谷石は主として地下採掘でした。そのため地下の広大な採掘跡地は圧巻で、テレビや映画の撮影にも利用されています。

 そもそもこの大谷石は、大正時代に有名なアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトが、旧帝国ホテルの素材として使用したことで全国に知られるようになりました。大正12年の関東大震災で多くの建物が崩壊・炎上する中で、旧帝国ホテルはほぼ無事だったことにより、大谷石の耐火性があらためて見直されたのです。

 大谷石文化が息づくまち宇都宮は、石をほる文化と、掘り出された石を使う市民の生活に根指した文化が調和しています。宇都宮を訪ねた際には、餃子だけでなく、大谷石文化をテーマとした「地下迷宮の秘密を探る旅」も体験していただければ幸いです。

クラブツーリズム株式会社
首都圏テーマ旅行センター
丹治祥子

<地下迷宮の秘密を探る旅>
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